2021-04-07 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第10号
私としましても、このままでは何一つできないということで、相良村長のときに相良村としてダム反対を表明いたしました。それが平成十八年の十一月です。 その後、ダム反対を表明した後、平成十八年の暮れでしたか、東京から電源開発の役員さんが二名来られまして、相談があると。川辺川ダムが多目的ダムとして完成するかどうかという質問を受けました。
私としましても、このままでは何一つできないということで、相良村長のときに相良村としてダム反対を表明いたしました。それが平成十八年の十一月です。 その後、ダム反対を表明した後、平成十八年の暮れでしたか、東京から電源開発の役員さんが二名来られまして、相談があると。川辺川ダムが多目的ダムとして完成するかどうかという質問を受けました。
今のところが、ダム反対派の方にしても、賛成派の方にしても非常に重要な点で、環境アセスをきっちりしてもらわないと清流川辺川が守れない、そういう点でみんな非常に興味のあるところなんですけれども、よく分からなかったんですよね。
しかし、流域治水についての報道など見ていますと、ダムや堤防だけに頼るのではなくてというところだけが取り上げられて、この考え方によればダムや堤防の整備は要らないというふうに見えるような、ダムを否定するダム反対の論調に戻ろうとしているんじゃないかというところがとても心配になってしまいます。
しかし、平成初頭以降に全国的にダム反対運動が広がりまして、川辺川ダムにつきましても反対運動が活発化しました。そんな中、平成十九年五月、十年ほど前ですけれども、川辺川ダムを前提とする河川整備基本方針というのを、当時、潮谷、前の熊本県知事さんでございますけれども、了解をいただきまして策定をしています。
○川田龍平君 この山形県は、最上小国川の漁業権の付与を盾にして、公益性の担保を求めて、公益とは何かを明言せずに、それまで漁協でダム反対を決議して八年間協議に参加してこなかった沼沢前組合長に対してダム協議に参加することを強要する実態があったと聞いています。
そうした状況の中で、いや、流域、水域の環境が良くないから、だから駄目なんだという、今ダム反対論がばっこしておりますけれども、しかし我々は生きていかなきゃいけない、産業の振興も図らなきゃいけない、食べていかなきゃいけない。そうしたときに水がないとどうなるか。 そして、食料自給率もそうなんですよ。今、我々は水資源大国だといいますけれども、ミシシッピ川と利根川では百分の一なんですよ。
反対派の人たちが、ダム反対派の人たちが何人かいて言っているのは知っています。これが学術的に、あるいは科学的に本当に根拠あることなのか、どこでオーソライズされているのか、それを教えてください。
でも、そのおやじさんもダム反対。今の人吉の市長さんというのは、川辺川でも要らないということで当選された市長さんですよね。 私が申し上げたかったことは、もちろん、蒲島さんに知事がかわられて白紙撤回を言われたということで、我々からすると、百四十三の中で川辺川ダムはやはり特別なんです。特別というのは、仕組みが特別なんです。
確かに民主党さんとしてのお考えはあったかと思いますけれども、そこまでの決意でいくならば、やっぱりダム反対というその候補者を立ててしっかり戦うのが何か筋だったのではないかなというのが私の感想なんです。 ですから、よくその地域に帰って友人、知人から話を聞くと、何かいじめられているような気がすると言うんですよ。確かにそうだなという気もいたします。
○前原国務大臣 柿澤議員も東京都議会で民主党の議員でいらっしゃいましたし、民主党の都議会は八ツ場ダム反対ということで都議会選挙を戦ったという前提で質問をされている、私はこういう理解をしておりますけれども、根本のお尋ねですので、もう一度お話をさせていただきます。 私は、ダムがすべてだめだということを当初から申し上げているわけではありません。
これで本当に、ダムによらない治水で河川改修ですということで、こんなことでいいんですかということをお尋ねさせていただいたところ、八ツ場ダム反対派の理論的支柱であります水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之さんも、それに対して同調する意見を言ってくれました。スーパー堤防では費用も期間もむちゃくちゃかかって、しかも点でしか整備をできず、線にならない、無意味だ、こういうことをおっしゃっていました。
ただ、その前提として、別にダムが全部悪いんだということを申し上げているわけではございませんし、逆に、ダム反対派の方からは、公開もされていないし、結局ダム推進の人たちばかりでやっているんじゃないかという疑念を私は持たれているぐらいであります。
これは本当に大きな事業でありまして、地域に、そしてまた日本国全体に与える影響も非常に大きかった多目的ダムでありますが、今から申し上げるのは、ダム反対ということで申し上げるわけではありませんで、後のアフターケアということで具体例で申し上げたいわけです。
とりわけ、二〇〇六年五月に殺害されたサンロケ・ダム反対運動リーダーであるホセ・ドトン氏の事件について、日本政府はどう認識されているでしょうか。
しかし、やっぱりダム反対の動きは一杯ありますから、そういうことにひとつ惑わされないようにして、そのためには、国土交通省、これはダムの専門家多いわけでありますから、国土交通省だとか、農業関係であれば農林水産省だとか、外務大臣ですね、是非各省と、外務省だけでこれを握っておっても駄目ですよ。各省と協力して、連携をしてこのような問題に取り組んでいただきたい。
次に、人吉市の住民たちがダム反対の最大の理由にしております昭和四十年、四十七年の洪水被害が、球磨川本流の市房ダムの緊急放水が大きくしたとの問題についてお伺いをいたします。
そういう意味で、たまたま八代のダム反対の市長さんがきのう当選されたということで、市長さんがどの程度八代の国民の生命財産を保障されるのかということも、今後大きな議論になってこようと思いますので、たとえどの党が推薦された市長さんであり、あるいは知事さんであれ、我々は少なくとも政府として、国民の生命財産を守るために真摯な話し合いをするということが、私は多くの皆さんの御賛同を得られると思いますから、たとえ共産党
大臣は、何かあると流域自治体からの要請ということを口にされるわけでありますが、しかし、きのう行われた流域最大の都市、八代市の市長選挙で、我が党も支持したダム反対の中島隆利候補が当選をいたしました。流域住民の反対の声がどこまで高まっているか、ここにはっきり示されたと思います。こうした中で、国土交通省があくまで強制収用など、ごり押し姿勢を続けることは、断じて許されないと思います。
したがって、参議院で決算委員会に所属してからは、ウオータープランとか利水権とか治水の問題、発電、いろいろ関心を持って勉強したんですが、実は私の地元にも随分ダムがあって問題になって反対運動があったんですが、私は参議院議員に当選した当時、地元でダム反対が言えなかったんです、十年前は。ダム反対なんて言ったら、後援会の皆さんからもう選挙をやってやらないぞと、こういう雰囲気だったんです。
適正である場合にはこうした提案とか強要をするのはおかしいわけなんですけれども、この提案の中で、理事の勢力を均等化するということは多数派だったダム反対派の切り崩しという意味にほかならないわけですよ。 それで、その結果、反対派理事の切り崩しが実際に行われたわけです。それ以後、補償交渉委員会の設置だとか新理事会発足、交渉の開始ということが急速に進んできたわけですね。
この社長は、いわゆるよそ者であるのに、間もなく村会議員に当選し、やがて議長になり、ついに村議会のダム反対決議をひっくり返した中心人物であります。第二位の技建日本の社長の兄さんは、先日、ダム反対派の理事を排除して補償交渉に踏み切った球磨川漁協で、推進派の中心になって動いている人であります。第三位の味岡建設は、熊本県建設業協議会の副会長。第四位の丸昭建設は、自民党県会議員の息子さんが経営しております。
それを聞いて、さて日本のダム反対論者は喜んで、アメリカが要らないと言っているから日本も要らないんだと、こう言ったわけですが、考えてみてください。私がうちへ帰って、おい飯だと言ったら、隣のうちは晩飯終わったからあなたも飯はないよと言われたらどうするんだと。大事なことは自分が今飯を食わなくちゃいけないのかどうかなのであって、そういうことを一切論評せずに、水を使おうと思ったらためるしかないんです。
これは、漁業組合の人々がアユがとれなくなるというダム反対に対して、ダムをつくれば水が濁る、魚がすめなくなる、ダムの濁った水だけが下流に流れないように、ダムの上流十五キロから水をとって下流にバイパスさせる。聞こえはいいけれども、結局、ダムの濁った水を上流のきれいな水で薄めるという話、そして、魚に配慮する、配意かもしれませんが。 五木村の人々は何と言っているか。もうそれだけは許せない。
しかし、今日までダム反対という看板が一度も掲げられたことのないダム、すなわち、地元はいろいろ問題がございますけれども、そういうようなアピールをするとか、あるいはまた看板を上げて反対されたダムではない。私は、全国でも例を見ないそんなダムじゃなかろうかな、このように思っております。
それから奥津町に町村合併で大きくなったわけだけれども、昔の苫田村の人たちだけではなしにその他の近隣の一緒になった村の人たちも含めてダム反対が決められて、このダム建設阻止が町是になったんですよ。そして、苫田ダム阻止特別委員会条例というものが三十四年の三月にできて今日まで、だから三十二年間一貫して反対してきている、こういう状況になっています。
何で三年半の間に三回もやらなきゃいけないのか、なぜ三年半の間に、前の二人の町長は次々に、その前を入れたら三人ですね、なぜダム反対派という町長が次々やめては選挙、ダム反対という町長だったらまたやめざるを得ぬ。三年半に三回だったら一年そこそこでやっているわけでしょう。なぜそうなったのかと聞いている。